「人はなぜ山に登るのか?」

高校生の時1年間だけ山岳部でした。
平日放課後は走り込みと筋トレで基礎体力づくり、週末群馬県内の山を登っていました。

 

山岳部に入った理由は先輩がかわいかったからで、自分も先輩のようになりたかったからが理由です(女子高)。
山登りに興味があった訳ではありません。

 

その後山登りにハマることはなく、山登りなんか流行ってるなあ、位の感じです。

 

でもその山岳部時代の山登り時の体感が10年以上経った今も蘇る時があって、それが、何かを作っている時です。

 

「人はなぜ山に登るのか?」

 

人はなぜ仕事をするのか、の答えは簡単です、お金のため、生活のため。

 

「人はなぜ山に登るのか?」

お金にもならない、体力も使うし、危険も伴う。生活が脅かされるかもしれない。
次の日仕事するのめんどくさくなっちゃうなあみたいなことでも。

 

山に登り始めてしまった人の心の中には「報われたい」という気持ちがないように思います。
少なくとも、対価のような成果として与えられるものが100%の動機ということはないと思う。

 

「人はなぜ山に登るのか?」

「気づいたら登ってた」,「登りたかったから」=「そこに山があったから」

 

報われることを目的に山を登り始めたら、きっと、その過程を越えられない。
山を登っているその時、実際苦しいことしかない。

息を止めたままのような気持ちで、止まったら苦しくなるから歩みを止めることも出来ないまま、急な斜面を一気に登り切る。

頂上を目指して登っているのに途中で下り坂もある。

この途中の下り坂が実は一番キツい。登りよりも下りは足に負担がものすごくかかるから。気持ち的にも、ずっと登っていたいのに下がって行かなくちゃいけないなんて。

 

山に登ることは頂上に着くまでびっくりするくらいしんどいことしかない。

 

それでも、

「人はなぜ山に登るのか?」

 

頂上に立った途端、びっくりするくらい全部忘れるから!

どこよりも高い空、雲よりも高い場所で、開放感と達成感がしんどかった道程全てを忘れさせてしまう。

 

そしてまた山に登る。
また登ろうと思った自分を絶対恨む、こんなにしんどいのになんでまた!言ってよ!って。

 

でも頂上から見える景色と、頂上の先からしか見えない新しい頂が見えたら、また登るしかないから。

 

お金のため、生活のためを忘れて、山を駆け上がり始めてしまう「バカ」なこと。

 

ああ、今回もほんとしんどかった。頭が(もっと)おかしくなった。
でも完成したらまた忘れちゃう、だってこの気持ちは何にも変えがたい気持ちよさ。

 

また性懲りもなく山に登ってしまいました。
自分が好きなものを好きだ好きだと言っています。
よろしくお願いします。