ポツドール『夢の城』-2012年、虚構になった『夢の城』と新しく生まれ変わる『ALBA ROSA』


※このテキストの初出は2012年11月19日、Blog Camp in F/Tブログサイトに掲載されました。2012年のF/T(フェスティバル/トーキョー)ポツドール『夢の城』(2006年初演)について書いたものです。現在、初出のブログサイトは閲覧できなくなっているため、著者本人が個人ブログに再掲します。


ポツドール『夢の城』

-2012年、虚構になった『夢の城』と新しく生まれ変わる『ALBA ROSA』

 

『夢の城』が伝える「若者の虚無感」の本質は2006年も2012年の今も変わらない。

たくさんの人々に囲まれても、セックスをしても、急に声をあげて泣いてしまう夜がある。食べ物も文化も足りないものは何もない。むしろあふれだすほどある。食べても寝ても満たされない。その想いを今も若者たちは抱え続けている。2006年の初演、当時の「若者の虚無感」を代弁していたのかもしれない。

しかし2012年の今、『夢の城』は若者の声を代弁してはいない。2006年から2012年を生きてきた若者にはわかってしまうのだ、舞台上に現れる「若者たち」は2006年を生きる若者でもなければ、2012年を生きる若者でもない。2006年から2012年の間『夢の城』に閉じ込められ、舞台上をさまよう亡霊のような若者の姿がそこには見える。「若者」は『夢の城』と向き合ったときリアリティを全く感じない。むしろそこには完全な「虚構」が立ち上がっている。そしてそこから感じる虚無感は現代の「若者の虚無感」ではない。

ポツドールの『夢の城』について私にはどうしても書かなければいけない使命がある。使命とはあの舞台の上に置かれたアイテムを読み解くことだ。それは私にしかできないことだ。

Twitterにまとめられた感想を読む。「若者」を嘆くコメントを読む。私は腹が立ってしまうのだ。あの「若者」たちの姿は年配の人々が観た「若者」というものの記号の集合でしかなく、当事者からするとあれは「若者」ではないのだ。

私は2006年に18歳の高校3年生、つまり舞台上の主役である「若者たち」と同年代である。中学時代から彼女らの文化に憧れ続け、しかし彼女らのようになることはできずに、彼女らの文化を観察し続けてきた。その私が見つめる『夢の城』の舞台は単に「若者」を記号としてとらえるのではなく、細かいアイテムから年代を読み解くことができる。

 

『夢の城』の初演は2006年3月。舞台の幕が上がり、現れた若者の髪型や部屋に置かれたアイテムを眺めると私はなつかしさを感じた。今は見なくなった当時流行した髪型や、ハイビスカスの装飾、当時特に流行した「PLAY BOY」のウサギのロゴのポスター。ああこれは2006年頃の若者の姿なんだな、と思いながら舞台を観ていた。しかし次の瞬間テレビの画面には『アバター』が写し出され、若者たちは3D眼鏡をかける。『アバター』の公開は2009年。違和感を覚えていると幕が下がりオープニング映像が流しだされる。再び幕が上がるとベランダと窓のセットは取り外され、部屋の中がよく見えるようになっている。私は改めて部屋を眺め、気づく。この部屋には絶対になければいけないあるアイテムがない。「ALBA ROSA(アルバローザ)」がないのだ。絶対にあるはずの「ALBA ROSA」がない。

ギャルにもいろいろ種類がある。私が舞台に登場する人々を「若者たち」と表現しているのはこのためだ。彼、彼女らは単純に「ギャル」「ギャル男」と分類できる人々ではない。『夢の城』に登場している「ギャル」と「ギャル男」は細かい分類で呼ぶと「マンバ」と「GUY(ガイ)」である。彼、彼女たちは日焼けした肌に目の周りが真っ白になるほどのアイメイク、脱色し明るい色(茶・金ではない)の髪、そして入浴をめったにしないというのが主な特徴で、そして彼らが必ず持っているアイテムが「ALBA ROSA」というレディースファッションブランドのアイテムである。最も象徴的なものが全面にハイビスカスがプリントされたコートだ。これだけの「マンバ」「GUY」の特徴を持った人々の部屋に「ALBA ROSA」のロゴが一切ないことはとても不自然なことなのである。

アルバローザの不在、そして2009年公開の『アバター』が流しだされたことで、私はこの「若者たち」が生きる世界は2009年以降なのだな、と思った。流行に遅れたファッションで時代に取り残される「若者たち」の姿なのだと。

しかし、AM9:00、それぞれが部屋から出て行く場面、「マンバ」の一人がバッグとして手に持ったものは「ALBA ROSA」の「ショッパー」だった。

「ショッパー」はギャルのステイタスを表現するとても重要なアイテムである。「ショッパー」は比較的手に入れ易く、かつステイタスの誇示にもなる。ギャルたちは自分の力の表現のために「強め」の「ショッパー」を持ちたがる。当時、「アルバローザ」の「ショッパー」にはかなりの強さがあった。「アルバローザ」のコートはギャルが手に入れることは容易ではない金額だった(3万円前後だったと記憶する)が、「ショッパー」は安いものを買っても手に入れられるし、友人からもらうこともできる。コートやTシャツではなく、持っている「ALBA ROSA」のアイテムが「ショッパー」だけというスタンスからその「マンバ」はそこまで熱心な「ヤンバ」ではなく流行に流されてその格好をしているタイプの「ヤンバ」であることがわかる。

2006年ではないと思いながら観ていた世界で「マンバ」が「ALBA ROSA」の「ショッパー」を持って出かけてしまった。そして追い打ちをかけるように私は棚の上におかれた『地デジカ』(2009年に誕生)を発見してしまう。問題は「ALBA ROSA」を発見したことではない。「マンバ」が「ALBA ROSA」を持って出かけてしまったことである。「ALBA ROSA」のピークは既に2006年には衰退している。むしろ「アルバローザ」自体が2005年に休業に追い込まれている。つまり初演は2006年だがこの若者たちが実際にいた年代をあげるとすると2004年以降2006年以前ということになる。2004年から2006年までは「ALBA ROSA」の「ショッパー」をわざわざ持って出かける(あの姿からすると恐らく日サロのティッシュ配りの仕事だと想定できる)ことがステイタスになったが、2009年以降に「アルバローザ」の「ショッパー」をわざわざ持って出かけるギャル、しかも「マンバ」は存在しなかったはずだ。流行に無頓着で2009年以降も持っていたとは考えにくい、3年間も流行の廃れた「ショッパー」を持ち歩くことはギャルはしない。わざわざ取っておくことはしない。(※2012年現在でもマンバは存在するが、彼女たちはかなり強いこだわりを持っている。『夢の城』の登場人物には前にも述べたように「マンバ」に対する強いこだわりは感じない。)

2009年以降に「マンバ」が「ALBA ROSA」の「ショッパー」を持って出かけるという演出により、ポツドールの作品を形容する時に使われる「リアリティのある虚構」は私の中ですっかり崩れさってしまった。そこに「リアリティ」はない。そこにあるのは完全な「虚構」だ。

更に「虚構」を強調するのは舞台上のセックスの演出だ。生々しさ、つまりリアリティよりも、人々がイメージする「ギャルとギャル男のセックス」を誇張したようなセックスだった。2006年当時ギャルやヤンキー的な人々の間で圧倒的な支持を誇っていた雑誌『egg』の読者投稿のセックス体験を描いたPOPで毒々しい漫画のようなセックスだった。「リアリティのある虚構」はどこへいってしまったのか。

岩城京子『東京演劇現在形』の三浦大輔のインタビューを読むと、三浦大輔がこのようなことを「うっかり」やってしまっているとは到底思えない。当日パンフレットで三浦大輔はこれが『夢の城』を上演する最後だと語っている。「最後」、つまりこの『夢の城』を終わりにするための、「リアリティのある虚構」を完全な「虚構」にするための演出だったのではないかと私は考える。

「もう生きていない?」と思ってしまってからの舞台は悲しかった。この人たちは『夢の城』というお城の中に2006年のまま閉じ込められている。けれど外から入ってくる『アバター』や『地デジカ』があるように、時代は2009年、2012年と移り変わって行く。移り変わって行く時代の中で彼・彼女らは時間が止まったまま、上演される時だけ生き返る亡霊のようだ。そしてその亡霊たちから感じる虚無感は「若者の虚無感」ではない。時代に取り残されてしまった人を眺める虚無感である。

F/T2012での公演を最後に『夢の城』の上演は終わり、三浦大輔は「若者の虚無感」を描くことも終わりにすると言う。日本の「若者の虚無感」を世界に伝えた『夢の城』は2012年の日本での再演で完結する。2006年に「リアリティのある虚構」として生まれたキャラクターと物語は2012年に完全な「虚構」になり、舞台上の「若者たち」はもう二度と東京という場所によみがえってくることはない。

 

2000年頃からギャルに爆発的な人気を誇った「ALBA ROSA」は2005年に一時休業に追い込まれる。しかし近年方向性を変えて復活。2012年の現在、「ALBA ROSA」のWebサイトにはこう書かれている。

「2012年ALBA ROSAは生まれ変わります。リゾートライフスタイルをテーマにナチュラルでありながらセクシーを兼ね備えた輝く大人の女性のためのワードローブを提案します」

2006年『夢の城』は終わりを迎え、「若者たち」はもう二度とよみがえることはない。しかし、彼らの文化に大きな影響を与えたファッションブランド「ALBA ROSA」は「新しく生まれ変わ」る。

2006年前後「ALBA ROSA」の「ショッパー」を持つことで自らのステイタスを誇示していた「若者たち」が新しく生まれ変わる「ALBA ROSA」の服に袖を通すことはあるのだろうか。

2006年前後の栄華を内包したまま、恐らく当時のような流行を巻き起こすことはもうないだろう「新しく生まれ変わ」った「ALBA ROSA」。オンラインショップで「ALBA ROSA」の服をまとい笑う20代後半から30代前半の女性を見て感じるこの空しさは、『夢の城』から出て行くことができなくなった亡霊のような「若者たち」を眺めていた空しさに少し似ている気がする。

 


初出:2012年11月19日 (Blog Camp in F/T)

テキスト:茂木成美

※このテキストはBlogCampの講師であった岩城京子さんの監修を頂きました。ありがとうございました。