炒飯

1年少し前、私は人生のどん底にいた。

行かなくちゃいけない予定をすっぽかしてある街のベローチェでコーヒーを飲んでいたら、

道の向こうにキラキラ輝く店を見つけた。

嘘ではなく、私には本当にキラキラ輝いているように見えた。

オーラみたいなものだと思うけど、そのオーラに導かれるように私はその店に入った。

あったかいお茶が出てきた。かわいい湯呑みだった。

ラーメンを食べた。ものすごく美味しかった。神様がいる!と思った。

それから私は何かあるとその店に行った。

何回か通う内にその店の名物は炒飯だと知った。ゴロゴロとチャーシューがたくさん入った山盛りのチャーハン。ついてくるスープがまた美味しい。

何かあってもその炒飯を食べれば大丈夫だと思った、実際炒飯のおかげで何度も救われた。

中華丼も好きだった。口に入れると意味わかんないほど野菜が熱々の油の餡でコーティングされていて、いつも口の中を火傷した。でも美味しくてもりもり食べた。

数ヶ月前、その店の「お父さん」が亡くなったというツイートを見た。

たまたまその街にいた私は、その店の前に行ってみた。

電気が消えていた、やっていなかった。

私と同じように店の前の坂を戻って行く人たちが何人もいた。

今日、久しぶりにその店に行った。

美味しくなかった。

いや、美味しくなかったというか、違うものだった。

あの炒飯にあった力強さがもうなかった。

私が口に入れた瞬間に「あ」とつぶやいたのを一緒にいた母は聞き漏らしていなかった。

焼きそばも頼んだ。これじゃない。

不思議なことは、店に入る前からなんとなくわかっていたことだ。

休みかな?と思った。

営業しているのに、暗かった。

理由はもちろんよくわからない。

私がしたいのは、決して、美味しくなくなって悲しいという話しではない。

お店って奇跡なんだということ。

美味しい食べ物を作る人も、出すお店も、食べている時間も、全部奇跡なんだということ。

いつまでもあるものじゃない、すごーく不思議な奇跡でその味はあったんだということ。

私はもうあの炒飯を食べられない。すごく悲しい。

でも、奇跡をもらっていたんだと思う。

なんて幸せな時間だったんだと思う。

きっと今もそんな奇跡に気づかず触れているものがあるんだと思う。

ありがとうございました。

美味しいご飯を、中華丼を炒飯をラーメンを、本当にありがとうございました。